この記事を読んでいる方の中には、同じような状況に陥ってどうしようか迷っている方もいらっしゃるかもしれません。
とんでもないことになったと思っているご家族の方が見ていることもあるかもしれませんね。
こんなプライバシーを晒すなんてという意見もあるかもしれませんが、私の体験が本当に誰にも頼れず困っている誰かの、あくまで1つの選択肢として参考になりましたら幸いです。
結論から言うと私は妊娠継続を選択、大学を卒業し、内定は辞退、結婚から出産も経験し育児をしながら仕事はパートタイム週5・勤務6時間 → 週5・勤務4時間+副業と形を変えながら働きつつ今に至ります。
結婚して満16年、子育て歴15年になりました。
それでは、現在に至るまでの経緯をご覧ください

22歳・12月初旬・あと4ヵ月弱で大学卒業、さらに翌年4月には内定をいただいた会社にて社会人デビューを控えている中での出来事でした。
生理が来ていないことに氣づき平日の夕方、産婦人科を受診したところ妊娠約2ヵ月目という診断を受けました。
相手は出会って3ヵ月の男性(現夫で4歳年上の社会人)
妊娠が分かった時点で私には堕胎という選択肢はなかったので、シングルでも育てていかなくてはと思いました。
大学卒業に関して両親は勿論のこと、多くの方にも大変お世話になっていたため死んでも卒業しなければと焦ったものの地元と大学と就職先は全て数時間単位で離れていたため、まずは相手や自分の家族に電話報告と相談をしました。
相手(現夫)
驚いていました。が、お互いに自身の両親とも話をするということですぐに電話は切りました。
この時点で、これで逃げられたらそれまでだなと思いました。
当り前ですがお互いに信用・信頼関係なんてありません。
3ヵ月間、朝昼晩24時間毎日一緒に生活して居た訳でもないうえ遠距離恋愛になることで付き合い続けることはできないとハッキリ言われていたので。
相手の住んでいる場所も実家住まいということでよく知りませんでしたし、当時連絡手段は携帯電話のみという。
次に母
当り前ですが、めちゃくちゃ怒られました。
次に妹(当時大学1年生)
おめでとうの言葉をもらい、母に怒られた話もしましたが心強い味方であることは間違いなかったです。
仕事終わりの父へ報告。
具体的な内容は覚えていないのですが、相手はどういう人でどういう状況なのか、私自身は大丈夫なのかと心配してくれていたように思います。
母も電話口におり、妹からおめでとうも言わないで怒るのは新しい命にも失礼だし有り得ないと叱られたとのことで、おめでとうの言葉を貰いました。
泣きました。
時系列は思い出せませんが、相手(現夫)も自身の家族と話をした後やはりガッツリ怒られしっかり責任を取るよう言われたとのことで私たちは結婚することになりました。

記憶が曖昧なのですが、妊娠発覚の翌日には夫と私の両親は電話にて会話をし、週末にはスーツを着て車で3時間弱の私の両親の居る家まで菓子折りを持って挨拶に行きました。
『親父さんにブッ飛ばされないかな…』
震えながらそんな言葉を言っていた夫を思い出します。
父から相手の釣書を持ってきなさいと言われたので、一緒に書いた記憶もあります。
無事に私の家族との挨拶を終え、次に夫の実家へ挨拶に行き、お互いの両親顔合わせの日取りを決めすぐに集まり会食をしたり、結婚指輪を買ったり、婚姻届けを書いて出したり、内定先には自己都合で辞退する旨を伝えたりと、氣づけば付き合ってから4ヵ月が過ぎていました。
内定辞退の件をサラッと書きましたが、長年憧れていた企業や大手企業への入社ということでもなかったことと、同じような経験をした方の体験談で、就職を優先させたものの堕胎によりメンタルや体調が崩れ就職どころか生活すらも困難になった方もいらっしゃったので、私は早々に出産に向けて準備することを選びました。

クリスマス辺りからつわりが始まりましたが、すぐに大学は冬休みに入ったので助かりました。
私が1人で暮らしていた家に夫が実家から通う形になり、入籍と同時に銀行の預金通帳を渡され、新婚生活スタート♡という実感もないまま朝から晩まで吐き続ける日々。
何を食べても吐き、飲み物も受け付けず。
口の中に水を含め飲み込まずに耐えようとしても吐き気が止まらず。
胃液すら出なくなっても嗚咽は止まらず。
幸い産婦人科が徒歩2分と近所にあったため(10分以上かけて通ってました)動ける時には点滴を打ちに行ったりと凌いでいました。
2週間たたずに体重は9kg減り、起き上がれないのでお風呂にも入れずひたすらスーパーの袋を被せた桶に吐いては寝るの繰り返しでした。
勿論、髪の毛にも吐瀉物は付きます。
自分で拭く気力も無かったのですが、夫が口の周りや髪の毛も拭いてくれその優しさに涙したことも覚えています。
そんな中、年末仕事休みになった私の両親がアパートを訪れてくれたのですが、真っ先に行ったのが換気でした。
寒かったのを覚えています。
そして夫に対し、よくこんな部屋に居られるね!と。
(ペットボトルやティッシュ、食べ残しなど散乱)
さらに起き上がれずに嘔吐する私を介抱する夫に対し、実の親ですら嫌煙したくなる光景なのによく面倒みられるね!とのこと。
(両親は認知症の祖母の面倒を見た時期もあり、Gまみれの部屋や蛆の湧いたオムツ、オムツを詰まらせ溢れたトイレの処理した経験もあるのでよっぽどだったのでしょう)
聞き方によっては暴言にも聞こえますが、私ですら献身的な夫に驚いていたので第三者から見たらやはり凄いことだったのかと再認識し改めて夫に対しての感謝が深くなりました。
両親には、せめて(夫のために)トイレで吐きな!と言われましたが私は『無理』と答え桶に顔をつっこみ吐き続けました。
両親が帰った後も、流動食すら受け付けなく、夫が買ってきたお粥やプリン、ゼリーも戻す日々。
途中からグレープフルーツ(果物)なら吐いても清涼感から苦しくないことに氣づき吐くことはわかっていても好んで食べるようになりました。
※なお、赤ちゃんは母体が10kg痩せようが食事を取れずに吐き続けようが水分さえ摂取できていれば影響は無いといわれました。さらに常に体温が37度半ばで風邪をひいた時のようにしんどくても病気ではないので、耐えるしかないとのことでした。

年が明け、学校へ行く日常が始まります。
卒業まであと少しでしたが、卒業制作が途中だったため引き続き登校し、予定されていたボランティア活動もあったので氣力で活動していました。
この頃、食事ができないだけでなく、涎(よだれ)つわりも発症しまだまだ動くのもやっとだったので、夫が会社の許可を得て仕事を抜け出し大学まで送迎してくれていました。
冬場で着込んでいたため痩せたことにはあまり氣づかれなかったのですが、食べられない分貧血氣味で友人たちや先生方には顔色を指摘され、妊娠のことは言えなかったので体調不良と伝えていました。
(精神的にきつくなったとき一人にだけ打ち明けたところ、妊娠・出産の本をくれたり色々と氣にかけてくれて助かりました)
3月を迎え、安定期(妊娠4~5ヵ月)に入り赤ちゃんも順調に育ちつつあったので、他の友人たちにも打ち明けてさらには無事卒業できることにもなりました。
卒業式にはスーツで出席しましたがお腹の膨らみでズボンが閉まらず上着で隠れていたものの半開きの状態でした。
お腹触らせて!と言われみんなに触ってもらい感動しあったのも懐かしい良い思い出です。
この頃には夫の実家の近くに引越し、夫と一緒に暮らし始めていました。
変わらず涎(よだれ)つわりは続いていたのですが咀嚼をしっかりすれば少し食事もできるようになっていました。
つわりが一番しんどい時期に冬休みが重なったことと、夫が驚くほど協力的だったお陰で無事乗り越えられました。

無事第一子を出産し、初めての育児を行う中で、夫婦としても人間としても未熟な部分が顕になり苦しみもがきながらも、子は鎹(かすがい)とはよくいったもので、第二子にも恵まれ尋常じゃないほどしんどい思いもしてきていますが総じてずっと幸せはあったし、今現在も幸せだとはっきり言えます。
有り体ですが、出来婚故の悩み、夫婦間の悩み、ご近所トラブル、何回警察介入すんねん、建替え同居、義家族との絶縁、子どもの悩み、子どもを通じた親同士の悩み、3人目流産 e t c 尽きることなく色々とありましたし、現在進行形でもあります。
その辺りの氣づきも記事にできたらと思いますが、大切なことは感謝ができるかどうか。
愛をもって行動できるか、できているかどうか。
自分や相手が無理なく思い合って喜び合えるかどうか。
それは家族や他者を喜ばせるために自分が犠牲になることでは決してないこと。
大なり小なりみんな悩みはあります。
人生どうなるかわかりません。
自分が今、この瞬間、どうしたいのか。
後悔しない選択をしてください。
今、後悔することがあっても、それは氣づきとして必要だった、もしくはあなた自身を救うために起こったことだったという可能性もあります。
どんな選択をしたとしても自分や相手を責めることだけはやめてくださいね。
どんな選択をしたとしても近道遠回り曲がり道を経ても自分の気持ちに嘘をつかず選べたものは結果全部正解に繋がりますので!
応援しております♡

